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3.11 たくさんの思いやり

3月11日の午後2時半過ぎ、夕方からの保育園の保護者会を控えていた私は自宅で掃除機をかけていました。
そのため揺れに気付いた時はすでにかなり揺れており、私は慌てベッドで寝ている次男を抱き上げて外へ逃げました。
背後からは、ガシャンガシャン!ドカン!ガタン!と色々なものが落ちる音がしましたが、振り返らずに逃げました。

外に出ても電車に乗っているような揺れ。
10分ほどして家の中に戻ると、キッチンはグラス類がたくさん落ちて砕けてぐちゃぐちゃに。
どこから片付けようか悩んでいるうちにまた大きな余震が来たので、再度一階へ行き、おっぱいを欲しがる次男に玄関で授乳しました。

保育園は電話がつながらず、長男が心配だったのでとりあえず保育園へ行って無事を確認。
当然ながら保護者会はなくなり、私は散乱したグラス類を片付けるために一旦家へ戻り、この時に主人と実家の無事を確認できました。

片付けた後に再度長男のお迎えへ。
保護者会のためお休みをとっていた親が多く、ほとんどの子はお迎えが来て帰っていたのですが、電車が止まって両親共に帰って来れない近所の子がいたので、その子も引き取って一緒に家へ帰りました。

歩いて帰ってきたというその子のお父さんが0時頃引き取りにきました。
お母さんの方はまだ帰れておらず、妊娠中のお母さんだし携帯もつながらないのでとても心配しましたが、歩いている途中でタクシーをつかまえられたと次の日に聞き、ひと安心しました。

実はこの日、保育園の他のお母さんが私がその子を預かっているのを知り、なかなかつながらない電話をかけてきてくれて、赤ちゃんもいるのに大変だから私が代わりに預かろうかと仰ってくれました。平気だよと断りましたが、その気持ちが嬉しかったです。

夜中や明け方も余震が続きました。
甲信越方面の地震で、新潟にいる主人となかなか連絡がつかずに心配しましたが、数時間後に連絡がとれ、15時頃には車で家に帰ってきました。
高速道路はガラガラだったそうです。

夜中から心配で寝れずに起きてしまった私は、とりあえずこれからに備えようと米を5合炊き、パンを焼き、空のペットボトルに水を汲み、魔法瓶にお湯を入れ、昼前には預かった子の家の車に乗せてもらって買い出しに行ったのですが、店はかなりの混雑で水は売り切れ、缶詰類もほとんどなくなっていました。

テレビでは震災や津波の被害が報道され、その目を覆いたくなるような惨事に胸がしめつけられる思いでした。
宮城、岩手、福島それぞれに住む友人に連絡をとりたかったのですが、電話回線をこれ以上パンクさせてはまずいと思い、とりあえず今何ができるかと考え、とりあえずは便器や暖房、ポットの電気を止め、私も役員をやっている園の父母会の会長さんに連絡をし、年度末に余った父母会費を義援金にまわせないかと打診してみると、会長さんも即賛成してくれました。

13日になり、被災地に住む友人数人にメールをしました。

昼過ぎに以前から約束していた弟家族が来訪。ガソリンの入手がかなり困難になっていることを聞きました。

夕飯後に主人はまた新潟へ。
夜になり計画停電の発表がありました。
実はこの日の朝にその旨を伝えるメールが届いていたのですが、本当かどうかわからないし、むやみにまわして都内で買占めが起こり、被災地に必要な物資が届かないことが怖かったので、主人にも伝えずに行動も起こしませんでした。
その情報は正確でしたし、結局買占めが起こってしまいましたが、今も「情報はこまめにチェックして自分なりの判断はするけれど、信用できるか人からの善意の情報でも回さない」でいます。
だって私には真偽を判断するほどの専門的な知識はないし、間違った情報が飛び交って混乱するのは非常に怖いことだと思うから。

14日の朝、交通網がパニック状態になっていることを知り保育園に電話。
自宅で子供をみることが可能な場合はとりあえず1週間くらいは家で見て欲しいと言われました。

近所のママから連絡があり、「ご主人単身赴任中で大変だと思うけど、困ったことがあったら家に寄るから言ってね。」と仰ってくれました。二軒隣のママも「うちは余分に懐中電灯あるから、なかったら言ってね。お米も私が買いに行ってくるよ。」と気遣ってくれました。その気持ちだけでも本当にありがたかったです。
とりあえずスーパー以外でお米が売っているお店を聞いて、午前10時過ぎに子供2人を連れて駅前に買い物へ。

駅前の西友に着いた時、品切れ続出で店を閉めるところでした。
近くのいなげやも混雑で入場制限をしており、店内は非常に危険な状況になっているとのこと。
小さな子供2人を連れてそんなところに入店するのは無理でした。

他にも八百屋や肉屋などのぞいてみたけれど凄い混雑だったので、諦めて教えてもらった米屋に行って米を5キロ購入しました。
米さえあれば母乳は出る。
母乳が出れば、子供2人はなんとかなる。
そう開き直って帰り道に100均を横切ると、いつもよりは混んでいたけれど、子供2人を連れて入れる程度だったのでお店に入って生鮮食品と缶詰を少しだけ購入しました。
パンと水は当然のごとく売っていませんでした。

計画停電中は医療施設などに優先的にガスを使うため、ガス控えてとの報道があったため、帰り次第昼食と夕食の支度をして、いつ実施されるかわからない停電に備えました。
結局この日は実施されず、暖房を使わない以外は普段通りに生活して就寝しました。

15日、今日こそ計画停電があるだろうと、朝から家事をさっさと済ませ、昼には夕食を作って湯たんぽと共にクーラーボックスに入れ、お湯を魔法瓶に入れてその時を待ちましたが、結局回避されました。
それでも暖房を使わないですむように3時半には子供2人をお風呂に入れました。

ちょうどその頃近所のママから電話があり、スーパーに来ているが食料がけっこう売っているので何か買っていこうかとのこと。ありがたく野菜を買ってきていただき、一緒に子供たちを遊ばせて、早めに夕飯を食べて早めに寝ました。ちなみにクーラーボックスに入れておいた夕食と湯たんぽはまだ温かく、両方ともそのまま食べたり使ったりできました。

16日の今日は夕方から停電する可能性が高いので、長男が昼寝から覚めたらお風呂に入って夕飯を作ろうと思います。

夜中の授乳もまだ頻繁だし、余震があるたびに主人のいる新潟は平気か心配になってチェックしてしまうし、あまり夜寝れていません。
その中で昼間元気いっぱいイヤイヤ期の長男と2ヶ月にもなっていない次男をみるのは結構しんどいけれど、被災地に居る方や原発で作業されている方、そのご家族のことを思うと弱音なんて吐いてられないなと思います。

岩手、宮城、福島に住むほとんどの友達とは連絡がとれたり、友人を通じて無事が確認できました。けれどまだ連絡のとれない友達もいます。とても心配だけれど、連絡を待つしかないです。

いま私たちにできること。
一番は息子2人をしっかりと守ること。
そして、節電すること、被災地に求められる日用品やガソリン、灯油等の不必要な買占めはしない、当面は不要な電話はしない。まずはこの3つを徹底しなければなりません。自分の行動1つが、300キロしか離れていない場所にいる人々の命を生かしも殺しもすることを肝に命じなければならないと思います。

落ち着いたら郵便局に行って義援金も送ろうと思います。現在、そして今後の節電で浮いたお金の分だけでも。



本人は東京にいても、東北出身でご家族ご友人が東北にいらっしゃる方はたくさんいます。もしご連絡がとれていない状態ならば、本当に心配されていることと思います。

どれほどのご心痛があることか。
どうかご無事でありますように。

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2011.03.16 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

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ちぃ

Author:ちぃ
猪突猛進系。
思い立ったら即行動。
嘘をつくのは苦手です。

2男1女の母となり、あっさり親バカになりました。

アトリエ9建築研究所等で不動産コンサルタント1年、建築デザインの設計監理5年経験。出産育児による退職後はsunpolaboを主宰し、暮らす服や雑貨のデザイン開発から制作までを行っています。また、ひとりひとりのポテンシャルを最大限に活かす生活空間づくりの提案等、「まんま暮らし」な衣食住を提案しています。

宅地建物主任者
福祉住環境コーディネーター2級
整理収納アドバイザー1級

家の前は緑溢れる自転車道で近くには小金井公園があり、いつも四季を感じて生活しています。

色とりどりに美味しそうなものが詰まった御膳のようなブログが書けるよう、精進したいと思います。

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